トイレの神様
こんばんは、森川です。
現在ネパールの孤児院Possible Nepalでボランティア生活を送っています。
今日は26/42日目でした。
うん、早い!
今日は孤児院のメンバー全員で、バンを借りてピクニックに行って来ました。
ちょっと疲れました笑
朝10時ごろ孤児院を出発し、
車の中でネパール音楽を歌いながらたどり着いたピクニック先は、
すごい!自然!
って感じでした。笑
街を見下ろせる丘の上にあるピクニック場で、
大きな滝、高い樹々、風情のある岩場、広い草原
と、ピクニックには最高の環境でした。
もちろん子供達は大喜びの大はしゃぎ。
走り回ったり、探検したり、踊ったり、ボールを蹴ったりと、普段孤児院と学校を行き来するだけの生活を送っている彼らにとっては、大いに羽を伸ばせる魅力的な冒険地であったようでした。
僕も普段の土埃が舞う、クラクションの嵐の中で生活している現在であるので、
良いリフレッシュになりました。
一緒に探検して、踊って、、、、
楽しかった。
ただ、気になったことが一点。
これはこの国に来てからずっと気にかかっていることでもあり、
ボランティアメイトのノルブともよく話し合っているトピック。
”環境に対する美意識”
せっかく気持ちの良いピクニック場も、他方を向けばゴミの山。
平気でポイ捨てする観光客たち。
そして平気でポイ捨てする子供達。
悲しい。
渓谷の合間の壮大な川を見下ろして、
"What a beautiful river, isn't it??"
と僕に話しかけた2秒後に、そこに向かって唾を吐き捨てる院長。
子供達も平気で美しい自然に唾を吐き捨てる。
不快感を拭えない。
何なんだろう。
どこからこの行為は生じているのだろう?
宗教?文化?伝統?
そんなわけはない。
ものがない、金がない、援助が欲しい。
なんどもなんどもこの国で聞いて来た言葉たち。
しかし覗いてみれば、ものを大切に扱っている、と果たして本当に言えるだろうか。
限られた資源しかないと言いながら、それらを大切にすることもしないで、僕らに要求するというのは、全くナンセンスではないか。
・美意識
・ものに対する意識
・環境意識
・他者への責任
こういった事に対しては、本当に辟易させられる。
結局、大人たちがそうだから、子供達もそれを真似る。
子供達がポイ捨てしたところで、注意する人はいない。
よくない。
今日はノルブと2人で、自分たちが出したゴミに対する責任を、ひたすらに、少し厳しく、説き続けたピクニックでもありました。
”来た時よりも美しく”
すごく素敵だと思う。
ワールドカップでのサッカー日本代表のロッカー清掃の話を思い出した。
文化や正義の押し付けとかじゃなく、
これは信念を持って、ちゃんと教え続ける。
伝え続ける。
子供達に。そして彼らを咎めるべき、大人たちにも。