学校へ行こう
こんばんは、森川です。
ネパールの孤児院で6週間のボランティアに挑んでいます。
今日でネパール滞在も丸1ヶ月を経過し、残すところあと10日程となりました。
短い。
ここまでくると短いです。
さて、今日の午前中は孤児院の子供達が通っている学校を訪問させてもらいました。
行こう行こうと計画していながらも、諸々の事情でなかなか実現していなかったこのプランですが、なんとか校長先生にも時間を作ってもらい、見学することができました。
授業もじっくり見学させてもらう予定でしたが、子供達の気が散るからと、そこまでは叶いませんでした。
(実際僕が通りかかるだけで授業そっちのけで手を振ってくるわ、誕生日の子供はお菓子くれるわで(嬉しかった)授業の妨げになってしまっている実感はありました笑)
とにかく、朝の朝礼から、授業中の教室の見学、そのほかファシリティの見学、そして校長先生との対談と、何かと充実した午前中でした。
この学校では、就学前から幼稚園レベル、そして日本でいう中学校卒業レベルまで、幅広い年齢層の子供達が勉強しています。
合計200人ほどの生徒たちがおり、1クラス20人ほどに対して1人の先生が授業をしていました。
持った感想のなかで、特筆事項を定めるなら、
・朝礼がしっかりしてる
・少なくとも、英語教育のレベルは高い
・勉強しかしない
ということでしょうか。
毎朝孤児院の子供達を学校に送っている際にも感じていたことですが、朝礼は本当にしっかりしています。
毎朝全校生徒が集って、歌と歌ったり、スピーチをしたり、新聞の朗読をしたりと盛りだくさんの内容です。
因みに、日本の前倣えや整列の掛け声のようなものもあり、それが日本以上に行程が多いのが観ていて面白いです。その辺の集団行動教育は日本と似ているなあと思います。
英語での授業は徹底されています。孤児院の子供達の英語力からも感じていた通り、授業は基本英語。ネパール語の授業以外ではネパール語は使いません。
1年生であっても、そのような授業に難なくついて行っている様子は、日本と比較して観てすごいなあと、純粋に感嘆してしまいました。
日本の小学校1年生がオールイングリッシュで授業を受けている姿は全く想像できません。(そりゃあるところはあるのでしょうが)
ただ、その中身をじっくり聞かせてもらうことができなかったのは残念です。
ただずっと英語で授業しててすごいなで終わってしまったので、勿体無かったなあと(仕方がないですが)。
最後に、勉強しかしないということについて。
生徒たちは、毎日40分の授業×8コマ(Grade5(9~10歳)は7コマ)の授業があります。
生徒のスケジュールでは、
毎朝9時半に朝礼を開始し、そのあと9時50分に1時間目の授業が始まってから、16時20分に最後の授業が終わるまで、授業以外の時間が計50分しかありません。
その50分の内訳としては、2時間目終わりの10分休憩・7時間目終わりの10分休憩に加え、5時間目終わり(13:30~)の30分のランチタイムです。
勉強以外のことをすることがほとんどありません。
ただ、それよりはむしろ。勉強以外にすることがないと言った方が正しいかもしれません。
例えば、みんなで遊ぼうにもグラウンドはありませんし、楽器もなければ安全な遊具もなく、スポーツ用品や遊び道具もありません。
あるのは朝礼で全校生徒が集まればもう敷地が埋め尽くされてしまうほどの小さなアスファルトの広場と、古くなった金属の遊具のなれは手のようなものだけです。
安全に、のびのびとはしゃぎまわれる環境だとはお世辞にも言えません。
また、もう一つの理由として、日本と比較した際に、
・給食ではない
・掃除をしない
ということもあります。
前者に関しては、お弁当を持ってくるという制度に加えて、ネパールの食生活では昼にがっつり食ず、軽食で済ますという文化的側面もあります。
後者に関しては、掃除には担当のおばさんがいて、毎日朝礼の開始前と放課後に掃除をしているため、この時間はありません。
日本の学校は基本的に、
・勉強
・遊び
・給食
・掃除
の4つの時間から構成されていると思いますが(主観)、その中でも勉強という面に大きな比重がかかっているようでした。
実際に観させてもらって、そして校長先生から話を聞いて感じたのは、実践的な学びを提供するためのファシリティは不足しているのかなと。
例えば実験器具はありませんし、満足に動くコンピュータは2〜3台しかありません。
そんな中で、彼らは毎年進級試験に合格しなけれななりません。
ただ、解説書を読んだだけでマリオカートができるようになるわけじゃない。
それが本当の学びにつながるのかなあとは疑問に思うし(本当の学びってなんや)、校長も心配しているところであるようでした。
校長先生と話したことについて述べると、
彼のミッションは、外国と後世まで伝わるdeep relationshipを作り、子供達に豊かな教育を提供したいということだそう。
海外の学校と協力体制を作りながら、持ちつ持たれつで子供達の教育を促進したいと。
(めちゃくちゃ端折ってますね笑)
彼のこの意志には共感するところ多かったので、これからも協力していこうと思った校長室でした。
(校長室のソファーはふかふかでした)
(校長先生が出してくれた飲み物はファンタオレンジでした)
今決意していることに紐づけると、
僕のこのボランティア紀行は、日本に帰ってからも続きます。
日本帰った!楽しかった!いい経験やった!
って語るのはあまりにも薄情に思えるし、そうやって割り切るにはあまりにもここに親しみを感じすぎている。
この1ヶ月生活してきて、僕にできることは、
”ここにいなきゃできないこと”と”日本にいるからこそできること”
があると思う。
その中でも、どうしたって、
”日本にいるからこそできること”の方が、自分の力を発揮できてしまう。
もちろんそれは当然だと思う(19年間生活してきたし)から、だからこそできることってのを実現したい。
そして、その”だからこそできること”を最大化するには、ここでの残り期間のなかで、”ここにいるからこそできること”をする必要がある。
そう考えたら、ここでの残り時間はとても短いなあ。
ーー
ちなみに、ふと思ったことを。
このブログをずっと書いてきたけど、このブログは過去を遡っても、あんまり自分の感情という面まで落として記述していることが少ないのではと。
思っこと/感じたことといったアイディアがこのブログの基軸であって、感情まで開智得ることはあまりない。
そしてだからどうだということも今はあまりない。