結末

この話の結末。

https://haruki-morikawa.hatenablog.com/entry/2018/09/30/000437

 

僕がネパールに渡ったのがおよそ1年半前。

2ヶ月間、Possible Nepalという孤児院で住み込みのボランティアをする為だった。

 

そこで見たものは、物資や食べ物、教育機会も十分にない中で、

楽しみを見出して精一杯生きる子供たちと、

その生活を必死で守ろうとする大人たち。

 

 

2ヶ月の間、

僕は自分に何ができるのだろうかと思い続けて過ごしていた。

 

彼らに勉強を教えること

日本について話すこと

ものを大切にすることの意味を説くこと

資金を集めること

 

悩みながらも何だかんだ色々と挑戦していたなと思う。

 

 

それでも、

僕の中で最も印象に残っている瞬間が、

この手紙にまつわるエピソード.

Japanese Friendsに向けて彼らが手紙を認めている瞬間の希望にあふれた表情だった。

 

---

事の起こりは僕がネパールで暮らし始めてから3週間ほど経った頃。

そろそろ折り返し地点だなと思い立った僕は、

子供たちが学校に行っている昼間の間に

孤児院の大掃除を敢行することを決めた。

 

 

ひと部屋ひと部屋、家具を動かし物を整理し掃除していき、

勉強部屋に取り掛かることに。

 

そこで本棚の本や紙やノートをひとつずつ抜き出して整理をしているうちに、現れ出たのがこの手紙たち。

 

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日本の小学生たちから、ネパールの子供達に向けた手紙でした。

聞いてみると、誰も何故ここにあるのかわからない。

なんとなく埋もれていたもの。

 

 

しかし手紙と分かると、

子供たちの反応は微笑ましいもので、

誰からの手紙だの、なんて書いてあるかだの、

日本の子供たちはどんな生活をしているのかだの

ひとつひとつ読むことをせがまれ、

質問責めにされていた。

 

そして手紙の地名に見覚えがあったから、

大学に入り偶々知り合った大学付近の商店街の方に連絡を取ってみたら、

なんとその方の出身校で、

大学の近くのまさに地元の小学校だった。

 

それだけではなくて、その商店街の方から、商店街にまつわる学生団体の方や、PTAの方へと繋がり、

当時手紙を出した小学生たちが、

地元の中学校へと進学していることが判明して

その中学校の教頭先生とお会いすることに。

 

この繋がりに不思議な縁を感じだこともあって、

子供達がこんなにも顔を輝かせてくれるならと、

手紙の返事を持って帰ることを決意した。

 

 

そうやって日本の子供たちに対して手紙を書いてもらうことになったわけだけど、

その時の彼らの表情といったら!

 

きっとこれまで沢山物資を受け取ることはあったのだろう。

でもそのたびに、自分たちの生きる世界の外の広さや、不思議さに思いを致して

自分たちが生きる世界の小ささに漫然と不満足感を抱いていたのだろう。

 

そんな彼らが初めて受け取った、

地球の遠く離れたところの同年代の子供たちからの手紙。

 

そして今度は、

"自分"がその彼らに"伝える"チャンス。

 

憧れるだけだった外の世界と初めて繋がれる瞬間。

 

そうしてあの期待に満ち溢れた表情が生まれていたのだろうな。

 

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---

 

そうした手紙を持ち帰った僕は、

教頭先生とお会いし、事情を伝えて、何かしようということに。

 

ただ、

それからなんとなく決行できずにいた中で、

その中学生たちの卒業を目前に控え、

1人の先生から

授業をしましょうとの申し出を頂いた。

 

 

願ってもないありがたい機会に飛びつくと

 

当初は手紙の経緯を話し、手紙を返すだけのはずだったものが

日本の小学生たちに縁の不思議さ、大切さを伝える機会にしたいという話に。

 

 

よくわからないままに出した手紙かもしれないけれど、

それが実際に海を渡ってて、

名前も顔も知らない子供達に

かけがえのない瞬間を届けているんだと。

 

その一歩の大切さ

時の縁が繋げてくれる不思議な巡り合わせ

 

記されたネパールからの明るい希望のメッセージと共に、

先生と僕の想いも込めて

手紙を届ける時間にして頂いた。

 

---

 

手紙にまつわるエピソードを話し、

彼らの一歩が生み出した笑顔と

その手紙の物語に携わる中で

僕が感じてきた素直な思いについて、

話してきた50分間だった。

 

 

彼らの心に届いたのかは定かではないけれど、

講演の後、手紙を書いたことを覚えていると寄ってきてくれた女の子がいて

正真正銘その子に宛てられたネパールの友達からの手紙を渡した瞬間.

 

うまく言えないけれど、

巡り合わせの連続の果てに

世界の広さと不思議さへの希望を抱いたかのような

そんな彼女の生き生きとした表情を見て

心からこうして届けに来て良かったと思うと共に

僕自身もなんだか救われたような気がした。

 

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今日、遂にネパールから持って帰ってきた手紙を届けてきた。

 

届けるだけじゃなくて、授業という形で。

 

当時小学生だった彼らは、中学生になっていた。

 

5年の歳月

 

これに関しては明日にでもちゃんと整理してから報告します。

 

今日はとにかく、自分が何を感じたのかということについて書き留めたい。

 

---

1年半前、ネパールの孤児院にボランティアをしに行って、

その時ネパールの孤児院で偶然見つけた日本の小学校から手紙

何かの縁が繋がりに繋がって、当時手紙を出した子供たちが在籍する中学校の先生とつながった

ネパールの子供たちに手紙を書いてもらった僕は、その返信を今日ようやく届けることができた

 

 

届けるだけじゃなくて、授業の時間を一コマいただいて、

ネパールへの手紙が繋いだ奇跡や、

僕がボランティアを通して感じたことについて話させてもらった。

 

 

中学生の彼ら彼女らに話した言葉を今一度自分にも問いたい。

 

今、自分は何を感じているか。

これをやってみてどうだったのか。

 

 

まず一つには、思い描いていたような感情とは違った感情が胸を占めていること。

 

 

もっと、感傷的な気持ちになると思っていた。

実際前日には、高揚感とともに、

あの頃のことを思い出して、ようやく届けられることに感動を覚えた。

 

 

しかし、

話してみた今、終えた今

あまり大きな感情の揺れ動きがない。

 

終わったのだという解放感が大きくあるわけでもない。

 

 

ただしみじみと終わったのだという事実を受け止めている。

 

 

僕がこの授業をやるに当たって伝えたかったのは、

彼らが何の因果か出した手紙が、遠く離れた名前も知らない子供たちを勇気付けていたこと.

その手紙に出会った僕が、その手紙を通して子供たちの心に触れ、色々な人と出会い、何だかとても楽しんでいること.

 

何か動いてみることで繋がる縁があるのだということ

即ち君たちの一歩には大きな可能性があるのだということ。

 

 

それがひとつ。

 

 

そしてもうひとつには、自分の行動が自分にとってどんな意味を持っているのかを

自分で知ることの大切さ。

 

ひとつの行動を

更に自分の為になる次の行動に繋げるために

自分の経験を自分のものにすること。

 

 

 

 

 

今日、こうして授業を終えるに至るまで

色々な人の助けを借りた

 

それこそ繋がり連鎖した縁の中で

様々な人に支えてもらい期待してもらった

 

そんな期待に応えることができたのだろうか。

 

彼らを裏切ってしまったのではないか

その想いが何より恐ろしい。

 

 

もしそうであるのなら。

 

 

今の自分に渦巻いているもの、

それは、

"わからない" という思い

 

全力で話をした

それが果たして伝わったのか

 

今日の僕の話が

彼らがこれから歩んでいく人生を

少しでも後押しできるものであったのだろうか

 

 

自分の行動が生み出したものの大きさや

自分という存在が持っている可能性を

少しでも感じてもらうことができただろうか

 

 

わからない

 

全く

 

 

 

きっと今すぐの結果を求めてはいけないのだろう

今この瞬間から人の人生を変えていこうとしたわけではないし

それは求めているものではない

 

 

ただ、彼らがこれから生きていく中で

何かを選ぶという時に

あんなことがあったなって

ふと頭に浮かんで

その決断を後押しできたなら

僕が話した意義があったのだろうと思う

 

 

 

 

分からなくて

わからなさすぎて

怖いし

終わったのに不安だ

 

 

 

それでも

5年前、手紙を書いた瞬間を覚えていると言い

その返信を受け取って

顔を綻ばせて嬉しさを露わにしてくれる子がいた。

この子のこれからの人生において

この手紙がとても大きく前向きな意味を持つのだろうなと確信したから

それにとても救われた気がした。

 

やって良かったと思った。

 

言葉とか飾りじゃない

 

手紙が繋いだ笑顔と笑顔

手紙が広げる世界と世界

 

自分がこうなって欲しいなって

漠然と描いていた像があった

それと少しギャップを感じずにはいられないから

モヤモヤするのだろう

 

でもそれは

とても自分勝手だ

自分の為に活動しているはずじゃあないのに。

 

僕が選びたくなかったボランティア像と同じだ。

 

 

 

これは世界中で僕にしかできなかったこと

それによりひとかけらでも増やせた喜びがあったなら

僕はそれに感謝して

幕を閉じるべきだろうと思う。

 

 

 

End.

配達人

久々のこちらのブログへの投稿です。

 

何故か

 

 

明日、帰国からおよそ1年半を経て

僕のこのボランティア研修がようやく終わる。

 

 

ネパールの孤児院で偶然見つけた、日本の小学生からの手紙。

 

それを、明日、届けにいく。

 

ただ届けるだけではなくて

そこに込められた思いを伝えてくる。

 

 

 

ようやく、この時が。

 

 

ずっと肩にのしかかっていたこと。

手紙に込められた想いと

手紙を書いてくれたときの表情を思い、

届けられていない自分をどこかでずっと嫌悪していた。

 

 

いろいろな偶然が重なって

明日遂に、届けられる。

 

 

なんていう感情なのだろう。

 

感じたことのないもの。

 

 

僕は、明日何を思うのだろう。

何を語り、どう感じるのだろう。

 

 

あの2ヶ月の研修を経て感じたことを

素直に、等身大で伝えてこよう。

 

 

明日を迎えるに当たって、

当時のノートや、ブログを見返した。

 

 

 

あの2ヶ月間は僕が行き方を考える上で

この上なくかけがえのない日々だった。

 

 

沢山の人に支えられて、

自分を見えていないことに気がついて

 

行動することの大切さに気がついて

 

自分のしょぼさに気がついて

 

たくさん悩まされたし

たくさん葛藤したし

たくさん絶望したけど

 

あの2ヶ月間があったから今自分はこうして生きている。

 

 

今残っているのは

あの時ネパールに渡って良かったという想い

そして、あの日々の中で書き連ねた言葉たち。

 

あの言葉たちが今でも自分を昔の感情に連れて行ってくれる。

 

どうしても思い出せない感覚に

もどかしさを感じることばかりではあるけれど

 

光景は目に浮かんでくる。

 

目に浮かぶ光景から、その当時と同じものかはわからないけど

何かいつもと違う感情が湧き起こってくる。

 

 

失ったものは多い

でも、また創り出せるものも多い

 

 

書き留めることの意義

自分を知り、自分の可能性に気がつく

 

自分を切り取り、自分が大切にしたいかけがえのない思いを心に残しておいてくれる。

 

 

 

 

そんなことを喋るために僕は明日、手紙を届けにいく。

 

 

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後ろ振り返って

こんばんは。森川です。

 

こちらのブログでは久方ぶりの投稿です。

 

今日は自分のネパール研修を振り返る機会があったので、ゆっくり腰を落ち着けて(テスト期間だけど笑)、自分にとってのネパールでのボランティア紀行と、これからの自分のあり方について、丁寧に言葉にしてみようと思います。

 

---

・僕にとってネパールでの6週間の研修とは

 

"自分に目を向けるきっかけ"

そして、

"自分に合った生き方の発見"

出会ったと思う。

 

ネパールに飛び立つ前、僕は"一生通して貫ける目標を見つけたい"という思いがあった。

結局、その思いは遂げられなかった。しかし同時に、今の僕に必要なことはそれではないということ、そして今の僕にとって必要な"目標"の定義はそれではなかったとかがつけた。

飛ぶ前は、自分のやりたいことを見つけることが、この思いを達する手段だと思っていた。

 

でも、今思っていることはそうではない。

"やりたいこと"というのは"自分のありたい姿"と、"自分が関わっている領域"の掛け算なのだと誰かが言っていた。

自分が大切にしたいのは、それだと思う。

まずは自分のありたい姿を見つけなければならない。

 

 

・自分のありたい姿について

自分がどうなりたいのか、それもひとつ、自分にとってのテーマであった。そこに意識的にも無意識的にも、向き合っていた6週間かなと思う。過去の自分は、周りからあるべきとされるあり様に、自分を押し込めようとしていたのかなと感じる。"他者に貢献する"とか、"社会の中で価値を発揮する"といった生き方だ。

 

しかし、多分僕が心の底で求めているものはそれじゃない。

 

自分が満足すること。そこに他者が入り込むことは多分ない。今のところはなかった。

僕の決定軸には他者は入らない。

 

それでいいと思う。

徹底的に、自分は満足できるのか、自分を肯定できるのかを問い続け、それに従う生き方をしたいのだと。

 

だからこれからは、ひとまず、自分が何に満足するのかを、幅広く経験していく中から、見つけ出していきたい。自分の小さな感情の揺れ動きを、見逃すことがない様に。

 

 

最後に、

”Be the Hero, Be the fucking Hero”

この言葉を信念として、持ち続けていたいと思う。

 

 

 

感謝の言葉で埋め尽くす

こんばんは、森川です。

 

ネパールの孤児院 Possible Nepalでのボランティア生活は、今日で42日目を終えました。

 

今日は、孤児院を掃除していました。

来た時よりも美しく。

これが僕のけじめです。

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明日、昼の便でネパールを発ちます。

 

ここまで来ると、感慨深い。

 

屋上から眺める月夜の美しさ。

これを見るのも今日で最後か。

 

思えばこの屋上に入り浸り出したのは、どうにも何をするべきなのか、迷いの中にいた頃。

 

お世話になりました。

 

--

今日はタイトルの通り、感謝の言葉でこのブログを埋め尽くそうと思います。

 

 

まず何よりも、この6週間、生活を共にしてきたPossible Nepalの皆さん、ありがとうございました。

院長のKapil、どうしても考え方に納得できないこともあった。でも、あなたはあなたの持ち得る限りの可能性の中で、選び抜き、それに対して真摯に向き合っているだけなのだと、今では理解できます。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

子供達、Rejina, Anmita, Mission, Denish, Kirti, Anish, Arun, Monisha, Monita, Anupa ありがとう。いつも腕白で、底知れぬ明るさを見せてくれた君たちのおかげで、僕はまるで兄のような親しみを感じながらここで過ごすことができました。

毎日料理を作ってくれたアンティさん、ありがとうございました。僕にとってダルバートとはあなたの作ってくれるもののことを指します。

Kapil一家の皆さん、ありがとうございました。僕が安心して過ごせるよう、たくさん助けてくださって、本当に助かりました。

Gyanebdra、ありがとう。一番年齢も近くて、同じくここで働いている大学生ということもあって、たくさんお世話になりました。頑張れ。

 

Possible Nepalの皆さん、何事にも変えがたい、かけがえのない6週間をありがとう。

 

 

Possible Nepalで出会った2人のボランティアメイト。

Norbertas、2週間という短い時間だったけど、あなたと過ごせて光栄でした。本当にありがとう。あなたがいたから、僕はこれからの生き方の方向を、見定めることができました。あなたは他にとってのヒーローや。

Kate、ほんの数日だけの短い期間だったけど、お世話になりました。ありがとう。あなたが子供達にヨガを教えているその空間には、寺院のような不思議な落ち着きと、見せたがりの子供達のあらん限りの子供らしさが溢れていました。

 

そして、何かの不思議な縁で、ここで出会った方々、お世話になりました。ありがとうございました。

 

滝沢さん、2度もお会いさせていただいて、SNSでもたくさんの言葉をくださって、本当にありがとうございました。お話からは、たくさんの刺激を得ていました。加えて、やはり僕にとっては、日本語で話している時が、一番Homeを感じるようです。一緒に食事をしている時に、まるで何年も過ごしてきた日本にいるような、不思議なフラッシュバックする感覚がありました。これからも、もっとたくさんの一瞬一瞬を、シェアさせてください!

 

宋さん、わざわざPossible Nepalまで出向いていただいて、まだまだ新参者の僕にたくさんのことを教えて頂いて、ありがとうございました。宋さんから教えて頂いたことは、最後の最後まで、知識として、僕の生活を支えてくれました。それに、まさかネパールに来てOSの話ができるとは全く思っていなかったので、凄くありがたかったですし、安心感を感じていました。またお会いできることを。

 

 

Gyan Bhumi Schoolの校長、お話聞けて光栄でした、ありがとうございました。学校を案内してもらったり、たくさん聞かせて頂いたりする中で、あなたのPassionに共感していました。日本に帰ってからも、僕が架け橋となり、共に子供達の未来のために、創り上げて行けたのならと思います。また明日の朝、直接挨拶しに行きます!

 

RandallとBryan、2日という短い時間でしたが、2人の熱意溢れるプロジェクトに関われて良かった!ありがとうございました。Facebookで2人のプロジェクトのこれからを、楽しみに見ていきたいと思う。

 

 

ほとんど毎日のように通った村の食堂のおっちゃん。僕のネパール生活を胃袋から支えてくれてありがとうございました。食べ物と食生活がひとつ小さくない問題となっていた中で、あなたのお店のモモは、僕を救ってくれました。きっとあの味を懐かしむこともあるだろうなぁ。

 

 

その他、僕が出会ってきたネパールの皆さん、ありがとうございました。初の途上国での長期滞在ということで、心配していることばかりでしたか、ネパールの人たちはみんな優しく、困っていたら助けてくれるし、笑顔でHelloって挨拶してくれるし、嬉しかったです。ネパールに来てよかった。

 

 

 

そして、AIESECのみんな、まだ終わってないけど、取り敢えず。たくさん世話かけました。ありがとうございました。

 

AIESEC in Kathmandu のみんな。

Jeebika、マネージャーとして、助けてくれてありがとう。色々なところに連れていってくれ、孤独や不安を感じることもあったここでの生活の、大きな支えになりました。来たばかりの頃は毎日連絡をくれ、安心できました。

Subas、たった一度しか会えなかったけど、来日前の諸々から、助けてくれてありがとう。一度しか合わなかったのに、フランクに、冗談言い合ったりして、凄く楽しかった。

Palina、君とも一度しか会えなかったけど、IPS、そして市内の案内も、してくれてありがとう。来た直後だったから、まだまだ不安がたくさんの中で、一緒に観光できただけで、心が軽くなった。

そのほかKathmandu LCのメンバー達。IPSではお世話になりました。そして、このような機会を与えてくれて、ありがとうございました。

 

 

そして何より、AIESEC Osaka University Local Committee の皆さん、この研修期間、お世話になりました。ありがとうございました。

ちゃん、こんなにコンサルするとは思わんかった笑 週2〜3回通話してたかな?笑 ふとした時に孤独を感じてしまうこともあるここでの生活、どうしたらいいのか全く見えなくなってしまう時もあるここでの生活。そんな中で、コンサルとして、話していた時間は、とてもありがたかった。話すことで文言化できることはたくさんあるし、話しながらここでの自分について、気がつけたことも多かった。それに、単に愚痴をいうことも、心を軽くしてくれて、大きな助けになった。1人じゃない、支えてくれている人がいるって思えることは、何よりも安心感を与えてくれた。本当にありがとうございました。まだまだ頑張って行こう。

 

その他、たまにコンサルで顔見せてくれたOSのみんな、オンラインMで度々お会いしたOSのみんな、応援してくれたOSのみんな、ハッパをかけてくれたOSのみんな、ありがとうございました。またたくさんお話しましょう。

 

 

 

そして、ここに書ききれなかったけど、このボランティア生活を送る中で、もしくはこの生活へと向かう中で、お世話になったその他大勢の方々、本当にありがとうございました。

みなさんのおかげで、大きな問題もなく、ひたすら自分に向き合う苦しい6週間を、充実したものとして今、終えられるというところまで来ました。

 

 

 

総じて、色々な人に支えられた6週間だった。

長かった。けどあっという間だった。

きっとここを去って、客観的に見れるようになって初めて、果たして僕がここで何をできたのか、何を得られたのか、わかるだろうと思う。

 

 

別れは寂しい。

 

けど、別れの先に、たくさんの楽しみをも見出している。

 

ありがとうございました。

少しでも、感謝を伝えられたなら。

 

 

 

来てよかった。

境界の歪み

こんばんは、森川です。

次の火曜には飛行機の中。

 

今日は市内で最後の休日を過ごしました。

--

 

夕暮れ時。

Garden of dreamsの前の交差点。

ココナッツをかじりながら、ココナッツ売りのおじさんと肩を並べ石段の上に座り、行き交う車を眺めていたその時。

 

もう帰るんやなーっていう思いが込み上げてきた。

 

この感情を言葉にできない。

 

だから少なくとも、この光景は目に焼き付けとこうと思った。

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自分は何ができたのかとか、自分は何をしてきたのかとか、振り返るのはまだ早い気がする。

少なくとも今ではないことは感覚的にわかっている。

 

その中で、ひとつ確かなのは、僕はここに故郷のような思いを抱いているということ。

それがこのような感傷的な気分を作り出す一端を担っていることは間違いない。

 

生活している中で、境目がわからなくなる瞬間がある。

ネパールのハエが飛び回るシミだらけの小汚い食堂にいるのにも関わらず、自分が日本にいる時と同じ心の状態でいることにハッとする。

どこからかクラクションの聞こえてくる緑に囲まれた穴だらけの土路を歩いている瞬間に、家にいる自分のと同じ感覚を抱いていることに気がつく。

 

日本-ネパール

この境目がわからなくなる。まるでカメラのフィルターを切り替えたみたいに。

 

もしかしたら、最初から境目なんてなかったのかもしれないし、もしかしたら、自分がここに対して19年間暮らして来た日本と同じ感情を抱くようになったのかもしれない。

もしかしたら、潜在的なホームシックが優しく急激に首をもたげて来ただけなのかもしれない。

 

ただ、この感覚は美しい。充実感を与えてくれる。不安と喜びを与えてくれる。

そして懐かしさを呼び覚ます。

 

この感覚を抱けたことは誇りに思っていいだろうと思う。

意識が混濁しているような、視界がふらつくような、そんな感覚だけど。

 

この感覚を言葉にすることはできまいか。

 

 

僕にとって、この感覚を獲得することがどれほど大事なことなのかは、とにかくはっきりしている。

 

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今日は、午前中はナラヤンヒティという宮殿跡博物館に行ってきました。

すごかった。

宮殿というだけあって本当に豪華。

すごく高そうな芸術品、すごく高そうな絨毯、そこらかしこに巨大な動物の剥製...

 

ネパールにいるとはとても思えないような、がっつり宮殿!という感じの豪華絢爛さでした。

 

中には日本の皇族の方とネパール王室の方が写っている写真があったり、日本の総理大臣の方が写真を残していたり、日本がや日本芸術の品が飾ってあったりと、日本とネパールのゆかりの深さを実感する品々も見えました。

 

ただ、宮殿ってこのようなものなのかもしれないけれど、すごいごちゃ混ぜやなあっていう印象を抱きました。ネパールの伝統、西洋的な建築、ヒンドゥー建築、東アジアの品々、堂々たるふかふかそうなベッドにブラウン管テレビ。

 

色々な面でごちゃ混ぜで、彩り豊かで、でもちゃんとひとつの空間を形成していて、そんなところもまた面白いなと思いました。

 

ちなみに、王家の家紋みたいなのが格好良かった。

ミュージアムショップがあったらきっとストラップを買っていただろうなと思うくらいに気に入った。

反対向きにした三角形を2つ重ね合わせて、真ん中には剣。

いいなあ。

 

一度は行ってみる価値があるんじゃないかと思います。

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午後は、僕のこのボランティアの受け入れ機関アイセックのネパール支部のメンバーの僕のマネージャーと食べ歩きの観光をしてきました。

 

良かった。

 

バナナラッシー、ソーセージ、ラフィンやスノーマンカフェのプリン。

大満足。

 

スノーマンカフェのプリンはマジでうまかった。

コーヒーがあれほど引き立てられる食べ物もなかなかないだろうなあ。

 

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色々とぐるぐる回って、garden of dreamsの交差点で別れました。

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人と出会うことの一番の価値って、”さよなら”が作り出されることじゃないかと思う。

 

出会いと別れ。

 

別れの方が、何倍も美しい。何倍も重たい。

 

 

明後日には、”さよなら”を告げなければならないこの日々。

 

どのように自分は去るべきだろうか。

どのような別れが自分にとって理想だろうか。

 

明日は明後日の満足のために生きよう。

手紙

こんばんは、

森川です。

 

あと明々後日には帰るんやなぁという現実離れした思いが忍び寄ってくるこの頃です。

 

今日は、手紙プロジェクトのメイン、子供達に日本の中学生たちへの手紙の返事を書いてもらいました。

 

 

 

このプロジェクトに期待していることとしては、

1. 孤児院の子供たちに対して

  外の世界とつながる経験

  自分が手紙をもらったと認識する機会

 

2. 日本の中学生たちに対して

  途上国に対する知識を深める機会

  支援のあり方を考察する機会

  実際に行動を起こす経験

 

3. ネパールの孤児院/学校に対して

  必要な物資の提供

  ロングタームの関係構築

 

があります。

 

 

子供達とずっと過ごしてきた中で、数々の言動から、この孤児院-学校という狭い世界の中で生きてきた彼ら心の奥底には、もっと広い世界への渇望があることを感じていました。

 

・朝から晩まで孤児院で働いている僕に、つまらないと感じないのと聞いてくる子供達

・all japaneseにも関わらず、僕が持ってきた地球の歩き方を食い入るようにキラキラした目で眺めている子供達

・手紙を発見した際、なんて書いてあるのか、教えて教えてと、せがんでくる子供達

などなど

 

 

実際に手紙を書いてもらって、その光景を見て、

やってよかった

と実感しました。

 

すごく楽しそう。

 

何を書くべきなのか照れながらも、それでも嬉しそうに、受け取った手紙をじっと読み込んで、一生懸命描いてくれる子供達。

 

全員がしっかり、時間をかけて、個性豊かな手紙を書いてくれました。

 

こんなに夢中で取り組んでくれるとは、予想以上でした。

 

 

多分、これまで世界各国から訪れるボランティアと関わってきて、たくさん貰うことはあったのだろうけど、自分たちから何かを届けるという経験は、ほとんど無かったんだろうなぁ。

 

 

受け止めた。

責任持って届ける。

 

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