密室

こんばんは、森川です。

 

ネパールの孤児院にて、ボランティア中です。

 

この国では、現在女性のお祭り"ティージ"が開催されており、今日は一日中どこかしらから音楽が聞こえてきます。

 

ネパールやなーって感じの音楽です。

ノリがいい。踊りだしたくなる。素敵です。

 

因みに、今日は、人生で初めて、密室に閉じ込められる経験をしました。

ここPossible Nepalのオフィスのドアは、外から鍵をかけてしまうと中からは開けられない仕組みになっています。

 

作業に夢中になっているところ、誰かが外から鍵を閉めてしまったようでした。

気がついたら密室の中。

 

小さなハプニングに心踊る自分が居たのは疑うべくもありません。

結局3~40分程度で女の子に助けられました。よかった。

 

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話題変わります。

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”苦しい 疲れた もうやめた では 人の命は救えない”

 

この言葉は、海上保安庁・特殊救難隊のスローガンであるそうです。

 

僕が言葉に出会ったのは、中学生の頃。

本田圭佑選手のルーツに迫ったルポ本の中ででした。

この本の中で、この言葉は本田選手の大叔父さんの言葉であると紹介されて居たはず。

 

それからというもの、僕の心を捉えて離さない言葉です。

 

 

”苦しい 疲れた もうやめた では 人の命は救えない”

この言葉がどうしても、今の自分に突き刺さる。

 

”苦しい” 

多分、そうだと思う。

苦しい。

何も成せていない自分。

何も見いだせていない自分。

何ができるのかわからない自分。

 

”疲れた”

そうかもしれない。

 

ネパールでの研修に来た。

6週間の戦い。

 

そう思っていた。

でも、そんな単純なものではなかった。

 

もう3週間を過ごしている。

まだ3週間も残っている。

 

結局自分は何がしたかったのか。

何がしたいのか。

何ができるのか。

何をするのか。

何かをするべきなのか。

 

6週間。

何よりも大きな経験だと信じていた。

 

 

”もうやめた”

になりかけていないだろうか。

多分そうなんだと思う。

 

だからこそ、この言葉が頻りに思い出されてならないのだろう。

 

”苦しい 疲れた もうやめた では”

 

 

 

まずい。

 

こんなに苦しいと感じた経験は初めてだ。

こんな種類の苦しみは初めてだ。

そう思う。

 

何に拳をあげればいいのかわからない。

自分ができることがわからない。

自分がここにいる意味が見いだせない。

 

居場所がない。

外面的にはある。でも、この思いはなんだろうか。

 

 

実家にいる時の自分と今の自分が一番近いということを以前書いた。

それは今も変わらない。

むしろどんどん増している。

 

でもそれはあまり気持ちのいい感覚じゃない。

 

 

自分の居場所ってなんだろう。

誰もがここが自分の居場所だと、自信を持って言えるのだろうか。

 

ここにいる子供達は、ここが居場所だと、笑顔で語る。

 

 

日本に帰れば、実家に戻れば、下宿で暮らしていれば、自分の居場所を定められるか。

日本にいた時のことを思えば、そうではないと思った。

居場所というのは、場所に根付くものではなく、人との繋がりの中で生まれるものなのだと思った。

 

贅沢な悩みかもしれない。

それは思う。

 

でも、この苦しさはぬぐいきれないから、どうしても払いのけることはできないから、思いをできる限り、自分の言語能力の限界まで、なんとか文字にしたい。

 

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もう一つ僕の心に住み着いている言葉

 

"走る 戦う 諦めない”

 

中学のサッカー部時代の恩師が何度も何度も僕らにかけ続けてくれた言葉。

馬鹿みたいにまっすぐで、単純で、ありきたりな言葉の羅列。

 

でも、この言葉が僕の人生に計り知れない影響を与えて来た。

 

 

これまで僕は、この言葉とともに、苦しさを乗り越えて来た。

 

 

しかし今。

 

何のために。何に向かって。何を目指して。

 

わからない。

 

こんなことで悩み続けて、そこに意味はないのかもしれない。

ないかもしれないけど、これを晴らさないことには僕は進めない。

 

どうやって。

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