Polca

こんばんは、森川です。

ネパールの孤児院"Possible Nepal”でボランティア生活を送っています。

 

今日で遂に、6週間のボランティアのうち、ちょうど4週間が終わりました。

 

長かった。

そしてあと2週間しかないと思うと、本当に短い。

 

今日のニュースとしては、クラウドファンディングを始めました!

https://polca.jp/projects/oIH4wLaSPOp

こちらがこのサイトになります。

子供達の学費のため、是非ご協力をお願い致します!

(背景は下記の2に)

 

今日は取り敢えずこの4週間を振り返ってみようと思います。

 

項目はこちら

1. ネパールという国

2. ボランティアとしての自分

3. 自分の人生

 

 

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1. ネパールという国

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ネパールは、色々な面で日本とは違います。

インフラ、交通、環境、食べ物、文化、宗教、産業などなど

特に毎回驚かされるのは、ガッタガタの道路です。バスが跳ね回っています笑笑

 

ネパールは平和だなと思います。

特に大きな犯罪もないし、牛がそこらじゅうでのんびり歩いています。

 

人も良いし、自然豊かで穏やかです。

 

ただ反面、急速な発展の背景に、鳴り止まないクラクション、巻き上がる土埃はひどいものです。

 

また、人々の環境への意識、そして美意識に関しては、なかなか僕はずっと受け入れられない。

 

ポイ捨てって、どうしてもできない。

ネパールの人の気持ちを知りたくて、ポイ捨てしようとさてみたけど、できなかった。

どうしても何かが邪魔をして、捨てることができない。

 

子供達には、平気で道にゴミを捨てるその感覚を、どうにか持たないでほしいと思う。

 

ただ、良いところはたくさんあります。

色々なところに観光に行きました!

大抵あるのは宗教建築が広大な自然だけど笑、それもネパールって感じがして面白いです!

 

何だかんだ面白い国だなあと思っています。

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2. ボランティアとしての自分

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ここにきてから、自分はどのような存在であるべきなのか、そしてなにを与えられる存在なのかについて悩んできました。

 

初期から持っていた思いとしては、一緒に作り上げるような、ちゃんと時間を共有して、その場限りにならないような存在でありたいということです。

 

ボランティアに取り組む中で意識してきたことは、なるべく自然体でいること。

 

自然体って、そうなろうとしてなるもんではないと思うけど、でもなんだろう、過度に気負わず、無理することなく、自分が一番穏やかでいられる接し方をすることが大事かなと思ってきました。

 

やっぱり、そうでないと、彼らと真に時間を共有することってできないだろうなあと。

 

結果としては、実家にいるような感覚で、毎日過ごしているという自覚があります。

 

実家で、妹と弟の兄として生活している自分と今の自分が僕の中でぴったりリンクする。

 

ただ、なにができるのかということは、常によく見えないままでした。

それが辛かった。

 

でも、生活の中で、そして、ボランティアとして新たにやってきたノルブとも話す中で、もっと気楽に、今自分にできることをしようと思えるようになりました。

 

実際にやっていることとしては、日々と生活を共にすること、ペンキ塗りをすること、なにかしらでみんなを喜ばせようと画策すること、そしてクラウドファンディングともう一つのプロジェクト(また書きます)です。

 

クラウドファンディングに関しては、始めることに対して自分の中で大きな葛藤がありました。これこそ、その場限りの与えるだけのボランティアなのではないかと。

そうかもしれません。

 

ただ、やってみないと自分がどう感じるかなんてわからないだろうと、そう吹っ切れて、遂に始めました。(ちょっとエゴイスティックな考え方かもしれないけれど)

 

それに、僕がくよくよ悩んだところで、結局被害を被るのが子供達で、そして彼らには何の落ち度もない。

 

少なくとも、弟や妹のような気持ちを持っている彼らに対して、どうしようもない気持ちを押し付けるのは違うと思った。

 

(書いていておこがましいなと思う。でも、”Done is better than perfect”。いくら悩んだところで、やらないやつよりやるやつの方がいいに決まってる)

 

それで始めたのがこのプロジェクトです。

https://polca.jp/projects/oIH4wLaSPOp

是非ご協力を、よろしくお願いします。

 

そして、どうなっていくかはわからないけど、自分に今できることを、楽しく進めていくことが、僕の残りの2週間だと感じています。

 

 

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3. 自分の人生

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僕がここにきた1番の目的は、人生において、支えとなるような経験がしたいという思いからでした。

 

それが得られているかはわからない。

多分後になってみないとわからないものなのだと思う。

 

ただ、ひとつ強烈な感じていることとしては、

"できることがない"ことの辛さ。

 

いつもと違った環境の中で、自分になにができるのかという答えが全く見つからなかった時期があった。

 

その時は、ただただ怖かった。

 

自分の存在意義さえ疑うような日々だった。

 

これまでは、

"これがしたい!"とか、"こうなりたい!"

っていう大きな目標を持っている人達が、何よりも格好いいと思っていた。

本田圭佑みたいに。

あんな人になりたいと思っていた。  

 

でも、今はちょっと違う。

 

僕にとって何より大事なのは、

"できること"があること

"できることがある"環境にいること

 

そしてそのために、

自分の"できること"を知ること

自分の"できること"を拡大すること

 

そしてさらにそのために、

"できる"を見つけ、"できる"を伸ばすことができる環境で挑戦すること。

 

これまでと大きく変わってくるのは、最後の環境の見つけ方。

 

これまでは、それを見つけるに当たって、

そこでやりたいこと/将来やりたいことから逆算して、そこで得られること

を考えることに重きを置いていた。

 

でも、これからはまず、

自分が得られるチャンスを取り敢えず掴むこと

が自分にとって大事になる。

 

幸いにも、今の時点で色々な機会を得られる環境がある。

 

だからこそ、色々やってみて、自分のできる/できないを知って、その上で、その日その日を楽しみたい。

 

 

こう思った背景には、自分が悩んだ日々だけでなく、ボランティアメイトのノルブの影響もある。

 

彼のポジティブさは本当にすごい。

純粋に格好いいなと思う。 

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ポジティブ

こんばんは、森川です。

 

ネパールの孤児院でボランティア中です。

 

今日は日曜日!ということで休日です。

 

アイセック in カトマンズのメンバーとトリブバン大学を訪問して来ました。

 

楽しかった。

 

残念ながら授業に潜り込むことは出来ませんでしたが、教室に入って、ネパールの学生気分を味わって来ました。

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僕らからすると、なかなか昭和チックな教室で、味があるなと笑

 

やはり日本の大学とは、設備等では色々な違いがありますね。

 

面白かったのは、図書館では携帯が禁止だったこと。

日本の大学では、音楽を聞きながら勉強している姿を頻繁に見かけますが、その辺間違いです。

すごい真剣に黙々と勉強してました。皆さん。

 

まあでも、勉強に向かう真摯な姿勢は、世界共通なんだなと思いました笑笑

 

 

==

話題変わって。

 

最近大事やなと思うのが、

ポジティブさ。

 

せっかく"ネパールに6週間滞在"という、これまでの自分の人生の中でおそらく最大の挑戦をしているのだから、毎日楽しまないともったいない!

 

何ができるのか、悩むことももちろん大切だと思う(そう思わないと自分のこれまでの生活に価値を置けないし、、、)。

 

でもその中で、日々の生活の中にちょっとした変化や、ちょっとした挑戦や、ちょっとした楽しみを見つけ続けられるような生活をしたい。

 

ルームメイトのノルブと触れ合っていて感じるところです。

 

うん、少なくとも楽しむ。

 

生活を、研修を、挑戦を。

 

 

 

 

 

 

トイレの神様

こんばんは、森川です。

 

現在ネパールの孤児院Possible Nepalでボランティア生活を送っています。

今日は26/42日目でした。

うん、早い!

 

今日は孤児院のメンバー全員で、バンを借りてピクニックに行って来ました。

ちょっと疲れました笑

 

朝10時ごろ孤児院を出発し、

車の中でネパール音楽を歌いながらたどり着いたピクニック先は、

すごい!自然!

って感じでした。笑

 

街を見下ろせる丘の上にあるピクニック場で、

大きな滝、高い樹々、風情のある岩場、広い草原

と、ピクニックには最高の環境でした。

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もちろん子供達は大喜びの大はしゃぎ。

走り回ったり、探検したり、踊ったり、ボールを蹴ったりと、普段孤児院と学校を行き来するだけの生活を送っている彼らにとっては、大いに羽を伸ばせる魅力的な冒険地であったようでした。

 

僕も普段の土埃が舞う、クラクションの嵐の中で生活している現在であるので、

良いリフレッシュになりました。

 

一緒に探検して、踊って、、、、

 

楽しかった。

 

 

ただ、気になったことが一点。

これはこの国に来てからずっと気にかかっていることでもあり、

ボランティアメイトのノルブともよく話し合っているトピック。

 

”環境に対する美意識”

 

せっかく気持ちの良いピクニック場も、他方を向けばゴミの山。

 

 

 

平気でポイ捨てする観光客たち。

 

そして平気でポイ捨てする子供達。

 

悲しい。

 

 

渓谷の合間の壮大な川を見下ろして、

"What a beautiful river, isn't it??"

と僕に話しかけた2秒後に、そこに向かって唾を吐き捨てる院長。

 

子供達も平気で美しい自然に唾を吐き捨てる。

 

不快感を拭えない。

 

 

何なんだろう。

 

どこからこの行為は生じているのだろう?

 

宗教?文化?伝統?

 

そんなわけはない。

 

 

 

ものがない、金がない、援助が欲しい。

なんどもなんどもこの国で聞いて来た言葉たち。

 

しかし覗いてみれば、ものを大切に扱っている、と果たして本当に言えるだろうか。

限られた資源しかないと言いながら、それらを大切にすることもしないで、僕らに要求するというのは、全くナンセンスではないか。

 

 

・美意識

・ものに対する意識

・環境意識

・他者への責任

 

こういった事に対しては、本当に辟易させられる。

 

 

結局、大人たちがそうだから、子供達もそれを真似る。

子供達がポイ捨てしたところで、注意する人はいない。

 

よくない。

 

今日はノルブと2人で、自分たちが出したゴミに対する責任を、ひたすらに、少し厳しく、説き続けたピクニックでもありました。

 

 

”来た時よりも美しく”

 

すごく素敵だと思う。

ワールドカップでのサッカー日本代表のロッカー清掃の話を思い出した。

 

 

文化や正義の押し付けとかじゃなく、

これは信念を持って、ちゃんと教え続ける。

伝え続ける。

 

子供達に。そして彼らを咎めるべき、大人たちにも。

生き方の哲学

こんばんは、森川です。

 

ネパールにてボランティア生活を送っています。

 

今日のネパールは、日本でいうこどもの日のような祝日らしく、孤児院の子供達は、外部の団体と協働して、子どもの権利を訴える活動に参加していたそうです。

(街中で踊ったり、メッセージを書いたプラカードを持って行進したり) 

 

ただ、ホスト団体から僕らボランティアは参加を認められなかったため、今日は1日のほとんどを同じ孤児院でボランティアをしているリトアニア出身のノルブと過ごしていました。

 

 

午前中は子供達を見送ったあと、ノルブの生き方の哲学に耳を傾け、午後は一緒にパシュパティナートに観光に行きました。

 

今日はそんな彼から刺激を受けたという話です。

 

==

ノルブに関して、僕が感じていることは、

ただ純粋に格好いい、尊敬できる人

ということです。

 

彼は空手の元リトアニア代表らしく、ワールドチャンピオンシップに出場していたほどの腕前で、ムキムキのマッチョです。

多分僕が人生で出会った人の中で1番強いです笑笑

 

加えて、哲学・民俗学に精通しているという面も持ち合わせています。

 

--

さて、彼と話していて、彼の哲学に触れ、感銘を受けた言葉。

 

"Be the hero, be the fucking hero”

 

響いた。

 

誰もが自分自身のストーリーを編みながら生きている。

そのストーリーの中で、ヒーローになること。

 

この言葉が自分に響いた背景には、これが発せられた文脈や、それまでの話からの積み重ねがあるだろうから、伝えきるのは難しい。

 

ただ、なんだろう。

格好いいと思った。

 

自分には、自分の人生を力強く彩ろうとする意志が足りないと思った。

 

それでも、自分もがむしゃらに、自分というストーリーの中で、ヒーローたる自分を感じたいと思った。

 

 

振り返ってみれば、僕は自分について内省する際に、"自分"を暗闇の底に置いて、外側から眺めていることが多い気がする。

 

"自分"に光を当てられていないと思う。

 

光の中を歩む自分を、愚直に信じたい。

 

そう思った。

--

 

事始めとして。

 

僕は、僕に今できることをする。

僕に今できることを探し続ける。

 

まずはここ、ネパールでの残り2週間ちょっとで、自分だからこそできることを見つけたと思う。

だから、それに力を捧げる。

 

悩み抜いた、苦しかった3週間だったけど、ここからは前を向いて、灯の点った道を走る。

 

 

そして、今一度、ここに当たり前に暮らす人々が、何を思い、どんな生活を送っているのかということに、もう一度向き合う。

 

そんな風に、残りの時間を過ごします。

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色々な自己分析サイトで自分を分析してもらってきて、いつも言われるのが、

傾聴力だとか、人の意見に共感しやすい

とかなんとか。

 

やはり、自分にとっては、人から話を聞くことが、大きく自分をレベルアップさせるチャンスのようだと思った。

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安心感を与えてくれる人がふと

こんばんは、森川です。

ネパールでボランティア生活に勤しむ大学2年生です。

 

最近思い悩んで前に進めていなかった。

だから今日は、リフレッシュ!と思って街に出た。

街に出て、日本を感じられる場所を求めに行った。

 

最初は喫茶店

ちくさというタメル地区にある喫茶店です。

オーナーが日本人の方らしく、是非一度行ってみたかった。

 

入ってみると、見事に微妙に懐かしさを感じる店内。

安定のモーニング。

最高でした。

 

 

そのあと、ルートネパールという土産物屋に行きました。

 

よかった。

店員さんがアホほど日本語上手くて、商売上手で、大阪を思い出して、懐かしくなって。

 

元気が出た。

 

頑張ろう。

 

明日は、ここネパールではこどもの日的な祝日だそう。

子供達は明日、外部団体と協働して、子どもの権利を訴える行進に参加します。

(ただ、ボランティアは来てはいけないそうで、明日は留守番です(T ^ T))

 

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今日はあんまり内容ないな、

夜遅くなると書き出す手が鈍る。

 

密室

こんばんは、森川です。

 

ネパールの孤児院にて、ボランティア中です。

 

この国では、現在女性のお祭り"ティージ"が開催されており、今日は一日中どこかしらから音楽が聞こえてきます。

 

ネパールやなーって感じの音楽です。

ノリがいい。踊りだしたくなる。素敵です。

 

因みに、今日は、人生で初めて、密室に閉じ込められる経験をしました。

ここPossible Nepalのオフィスのドアは、外から鍵をかけてしまうと中からは開けられない仕組みになっています。

 

作業に夢中になっているところ、誰かが外から鍵を閉めてしまったようでした。

気がついたら密室の中。

 

小さなハプニングに心踊る自分が居たのは疑うべくもありません。

結局3~40分程度で女の子に助けられました。よかった。

 

===

話題変わります。

===

 

”苦しい 疲れた もうやめた では 人の命は救えない”

 

この言葉は、海上保安庁・特殊救難隊のスローガンであるそうです。

 

僕が言葉に出会ったのは、中学生の頃。

本田圭佑選手のルーツに迫ったルポ本の中ででした。

この本の中で、この言葉は本田選手の大叔父さんの言葉であると紹介されて居たはず。

 

それからというもの、僕の心を捉えて離さない言葉です。

 

 

”苦しい 疲れた もうやめた では 人の命は救えない”

この言葉がどうしても、今の自分に突き刺さる。

 

”苦しい” 

多分、そうだと思う。

苦しい。

何も成せていない自分。

何も見いだせていない自分。

何ができるのかわからない自分。

 

”疲れた”

そうかもしれない。

 

ネパールでの研修に来た。

6週間の戦い。

 

そう思っていた。

でも、そんな単純なものではなかった。

 

もう3週間を過ごしている。

まだ3週間も残っている。

 

結局自分は何がしたかったのか。

何がしたいのか。

何ができるのか。

何をするのか。

何かをするべきなのか。

 

6週間。

何よりも大きな経験だと信じていた。

 

 

”もうやめた”

になりかけていないだろうか。

多分そうなんだと思う。

 

だからこそ、この言葉が頻りに思い出されてならないのだろう。

 

”苦しい 疲れた もうやめた では”

 

 

 

まずい。

 

こんなに苦しいと感じた経験は初めてだ。

こんな種類の苦しみは初めてだ。

そう思う。

 

何に拳をあげればいいのかわからない。

自分ができることがわからない。

自分がここにいる意味が見いだせない。

 

居場所がない。

外面的にはある。でも、この思いはなんだろうか。

 

 

実家にいる時の自分と今の自分が一番近いということを以前書いた。

それは今も変わらない。

むしろどんどん増している。

 

でもそれはあまり気持ちのいい感覚じゃない。

 

 

自分の居場所ってなんだろう。

誰もがここが自分の居場所だと、自信を持って言えるのだろうか。

 

ここにいる子供達は、ここが居場所だと、笑顔で語る。

 

 

日本に帰れば、実家に戻れば、下宿で暮らしていれば、自分の居場所を定められるか。

日本にいた時のことを思えば、そうではないと思った。

居場所というのは、場所に根付くものではなく、人との繋がりの中で生まれるものなのだと思った。

 

贅沢な悩みかもしれない。

それは思う。

 

でも、この苦しさはぬぐいきれないから、どうしても払いのけることはできないから、思いをできる限り、自分の言語能力の限界まで、なんとか文字にしたい。

 

-

もう一つ僕の心に住み着いている言葉

 

"走る 戦う 諦めない”

 

中学のサッカー部時代の恩師が何度も何度も僕らにかけ続けてくれた言葉。

馬鹿みたいにまっすぐで、単純で、ありきたりな言葉の羅列。

 

でも、この言葉が僕の人生に計り知れない影響を与えて来た。

 

 

これまで僕は、この言葉とともに、苦しさを乗り越えて来た。

 

 

しかし今。

 

何のために。何に向かって。何を目指して。

 

わからない。

 

こんなことで悩み続けて、そこに意味はないのかもしれない。

ないかもしれないけど、これを晴らさないことには僕は進めない。

 

どうやって。

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こんばんは、森川です。

 

ネパールの孤児院でボランティア生活中です。

 

ネパールでは女性のためのお祭りが始まりました。

今日明日とお祭り期間だそうです。

 

今晩は、踊り、いつもより少し豪華な夕食を食べました。

 

また、この後深夜に起きてご飯を食べるそうです。

 

そして、日中は何も食べないと。

 

面白いです。

 

 

色々な文化に触れられるのは、とてもいい経験です!

 

うまく踊れるようになりたい!

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