屋上ではWi-Fiがよく届く
こんばんは!森川です。
現在ネパールの孤児院 "Possible Nepal”で、ボランティア生活を送っています。
今日は土曜日ということで、子供達は学校休みです。
だから1日子供達と過ごしていました。
やったこととしては、以下
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・朝
-畑を耕した
畑を耕していました!
以前トウモロコシを植えていたという畑ですが、土は固まり雑草はびっしりというなかなかハードな環境でした。
それを午前をかけて、雑草を抜き、土を掘って土壌作りに励みました。
雑草抜きって子供達本当に嫌いですね。
鍬で土を掘り起こすのはやっぱり派手だし成果は見やすいしでいいかもしれないが、雑草抜きだって大事な仕事なんだぞと、思いながら(わかってくれない/わかろうとしない...?笑笑)ひたすらに雑草たちと向き合っていました。
・昼〜夜
サッカーしたり、宿題したり、YouTubeでネパールのB級映画を見たり、、、
ゆったりした休日でした。
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今日を一日過ごして見て、さっき思ったのは、
今の自分、つまりこの孤児院の中で生活している自分は、実家にいる時の自分に1番近い。
誰しも、時と場所に応じて、ずっと一貫した自分ではなく、それを変化させるものでしょう。
僕も、大学にいる時の自分と、実家にいる自分と、店員をしている時の自分では、なんらかの違いがあります。
それは、口調であったり、どのように自分を見せるかという意識であったり、どのくらい自分を開示するのかという無意識の変化であったり。
実家にいる自分とは何かと考えると、
・息子
・3人兄弟の長男
・妹と弟の兄
などがステータスであるだろうか。
心情・位置などととしては、
・兄弟(特に弟)の世話をする立場
・自発的に多くを喋る方ではない
・ほかの兄弟と親の間に位置しているという意識
なんかが浮かびます。
何というか、自分の心の持ちようみたいなものが、実家にいる時の、家族の一員としての自分に近い。
それがいいことなのかは、わからないけど、(いいことか否かで分けられるものかも分からない)その感覚にはハッとするものがあった。
なぜかと考えてみると、
孤児院に住み込みで働いている現状だからこそ、あまりオンとオフの切り替えがないという状況や、院長と子供達の年齢層が、両親と兄弟の年齢層に近いという事実がある。
日曜日に外に出かけても、結局帰ってくるところはここだなぁと思うし、働く先というよりは家という感覚に近いのかもしれない。
この感覚でいることによる影響や、効果は色々あるなと思うけど、そう感じてしまうのだからそれはそれでしょうがないし、そのまま受け止めるべきかなとも思う。